怒涛の一日

みなさんこんにちは、
今日のテーマは、「怒涛の一日」です。

専務取締役佐々木真悟

今朝の6時半頃に妻の携帯が鳴った。相手は私の父からでした。「今朝は体が全く動かない。」いうものでした。

何日か前から、寝違えにより首が回らない。と、訴えかけていた父は、今朝になって体が全く動かないことが分かり、私の妻に連絡してきたのでした。

その情報は、直ぐに眠っている私に伝えられ、7時になる前から準備を行い、高速道路を使って松江の父の家(私の実家)に向かうのでした。料金所を過ぎて一般道のバイパスに降りると朝のラッシュで車は進んでいません。

別の道路を使って父の元へと急いで行きました。父の家についてみると応接室のソファーにすがっている父がいました。何とかしてここまでは移動してきたのでしょう。

8時半に母を迎いに来られるデイサービスの方に引き渡し、母を見送っりました。父について、どうしたものかと私と妻は思案して、私のかかりつけ医でもある「しみず内科クリニック」で診察してもらおうということになりました。

8時50分になり、しみず内科クリニックに電話して、父を診ていただけるようにお願いし、先生から10時から来てください診療します。という返事をいただきました。

9時半に全く動けずに左足のしびれている父を二人で抱えて車に乗せて、何とか10時にクリニックに着きました。

車椅子を借りて、看護師の助けを借りながら、父は10時にクリニックの治療室に入って、検査から始まりさまざまな治療が13時半までかかりました。

その後、先生から大きな病院で検査を受けられることをお勧めします。と、紹介状を書いていただくことになりました。

しかし、先生が紹介しようとされている総合病院に先生が連絡をされると、空きのベッドが全くないことが分かりました。そのために、現在、私が住んでいる出雲市の医大病院に行くことになりました。先生は医大病院に紹介状を書いてくださいました。

一旦、父の家に帰って準備をしてから出雲市に向かいました。医大病院の救急外来で先生が書いてくださった紹介状を出して検査をしてもらう。という計画は功をなし、16時から検査が始まりました。

私達の思いとしては医大に何日か入院して父の症状が落ち着いてから松江の家に帰ることでした。

父が医大に今日入院できるかどうかさえ分からないまま19時になろうとしていた時、妻は私の父を松江に連れて帰る前提で準備してくれていました。

20時半頃に検査が終わって、幸運なことに父は医大に入院できるようになりました。ただしこれは、父が重篤な病気であることが分かったからではなく、検査の結果が明日はっきりすることと、今から松江の実家に帰って行くことについて医大の先生が考慮してくださったからです。

そして、父の症状は「疑似痛風」ではないかと医大の先生は言われました。そう言えば、疑似痛風で動けなくなり松江市の日赤病院に3日ほど入院したことが4年前にありました。

それから入院の手続きが終わって、父が部屋に移動したら21時になろうとしていました。

朝の7時から21時までの間の14時間、父のために怒涛の一日が終わりました。帰りに妻が大好きなスイーツも買って我が家に帰りました。

そして、忘れてはいけないことがありました。

父の家に着いて、首が痛い、腰が痛い、体が動かせない父にやってもらったことは、コンドリプラスカプセルを20錠飲んでもらうことでした。父は文句を言いながらでも飲んでくれました。

これが薬であったならば、私は決してこんなことはしません。副作用が怖いからです。しかし、コンドリプラスは薬ではなく、安全な健康食品であり、なおかつ症状を緩和することを私の経験から理解していたからです。

私は、ご家庭にコンドリプラス3瓶を常備薬のごとく備えられることをお勧めします。

しみず内科クリニックの先生から21時半にご連絡をいただき、父の状態と入院できたことについて報告いたしました。

私が最も感謝することは、多くの人々の助けを受けて、幸いにも父が入院することができたことです。

本当にありがとうございました。

「この続きは、明日の心だ~!」
という懐かしすぎるフレーズで終わりたいと思います。

From 愛用者の佐々木専務 


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