悪代官になれたのは母のお陰

みなさんこんにちは、
今日は、「悪代官になれたのは母のお陰」について書いていきます。

専務取締役佐々木真悟

今までのブログ「4度死にかけた男」の中で、私の両親について断片的に書いたことがありましたが、今回は私の母について少し詳しく書いていきたいと思います。

まず私の母は、体裁よりも実質を重んじるタイプとでも表現しておきましょう。と言ってもわかりにくいと思いますので、新品とブランドには無関心な人でした。という表現が分かりやすいのかもしれません。

私がこの世に生まれてから22歳で社会人になるまでに新品のモノを買ってもらった記憶は、小学校入学時に買ってもらった学習机とベッド、高校生になった時の自転車と、高校時代に買ってもらったラジオカセット(ステレオ)と、大学時代のキーボードだけだったと記憶しています。

「そんなにたくさん買ってもらっていたの」という人がいらっしゃると思いますが、それ以外は全て中古品で代用してきたのです。または、自分で作ってきました。子供時代の武器はお手製でした。←正直言うとモノがそんなになかった時代でもありました。

今でも覚えているのは、プラスチック製のフリスビーなるものが流行った時には、クッキーを入れた円形の入れ物の蓋をハンマーで叩いて変形させて、中心部に空いた穴をビニールテープで塞いで、フリスビーもどきで友達と遊びました。飛び方と破壊力は、本物を凌駕していました。←やはり武器かいな!?

中学2年生の時は、島根大学の特音(音楽教育専攻コース)で使っていた中古のアップライトのKAWAIピアノを3万円で買ってもらい、近所に住んでいた元調律師の知り合いに一升瓶一本の酒でピアノ線を3本ほど張り直してもらい、調律までしてもらいました。この交渉については私がやったように思います。

高校生になってロックバンドを組むようになり、ギターアンプは何処からかもらったステレオのアンプとスピーカーを使って代用させました。ここで初めて入力のレベルが高いとスピーカーが壊れる経験をしました。録音用のラジカセは当然中古品でした。

それに比べて私の叔父は新しいもの好きで、昭和40年代から、出たてのビクターのステレオや、出たばかりのカラーテレビ(真空管)、ソニーのオープンリールを新品で購入して、私とは真逆でした。

小学生の時はモノクロ写真の焼付の手伝いもしていました。一眼レフで写真を撮る方法も学びました。

中学生の頃、この叔父から私は、LPレコードからカセットへのダビング方法とレベルメータを見ながらボリュームを調整して録音する方法など、電気系統の技術を教えてもらいました。

当時の音響関係の最先端技術は叔父から学んでいたことをこのブログを書きながら思い出しました。

でも、叔父とは対照的に私の手元にあったもののほとんどは中古品でした。こんな環境下で培ったものこそが、「今あるものを使ってどうやって必要なものを作り上げるのか」であったと思います。

何かの材料や道具を購入して作り上げることは誰にでもできることです。←実際は購入してもできない人がたくさんおられることも知っています( ´艸`)

今あるもので目的のものを作り上げていく、代用していくという生活を続けてきたことで、「今あるもので何ができるのか」に始まり、「今ある人たちでどうやってやり遂げるのか」に発展し、「今ある環境でどのように成果をあげるのか」、「今あるものでどのように売上を上げるのか」などと無意識に考えられるようになったと思うのです。

ただし、これがなければできないというモノも確かにあります。でも同時に、どうしても必要なものは何なのかと瞬時に考える癖がつきました。

それと、忘れもしないアディダスの薄っぺらいジャンパーが高校時代に流行っていて多くの人がそれを着ていた時に、私と友達だけはノーブランドのアディダス風の薄っぺらいジャンパーを着ていました。

正直、みんな着ているのに自分たちだけはノーブランド。なぜかしら恥ずかしい気持ちに襲われていましたが、日にちが経過することでその状況に慣れてきました。←慣れは怖いぞ、慣れの果て!

別にブランド品じゃなくても良いと悟りました。

私のことを「着たきり雀」という人もいますが、あまり気にしていません( ´艸`)

このような生活を余儀なくさせられると、購入したモノに対しての愛着はとても強く、モノを大切にします。これは幼い頃より簡単にはモノを買ってもらえなかったことによるものでしょう。

私のことを一言で表現するなら、「ケチです( ´艸`)」
とは言うものの、必要なものであると思うならば、私にとって大金を出して購入することもあります。←ほんとに普通の人間なんですよ!

自分で思うに自己投資に関しては私にとって大金をつぎ込んだと思います。
やはり、子供の教育に関しても私にとって大金をつぎ込んだと思います。

「私にとって」をつけないと価値観の違う人に誤解が生じることもあるので・・・。

こんなことを何年も何十年も続けていると、ある時「悪代官」になれたのです。

金がなければ、ないなりに何ができるのか。
どうやったら金が作れるのか。

この問いにまともに答えられる「何でも与えられて育った2代目、3代目経営者」は、私がコンサルタントとして見出せなかったと思います。

順境の時には経営者の本質は決してわかりません。
逆境になった時にこそ経営者の本質と真価がわかるのです。

コロナウィルスによる生活環境の変化において、経営者の本質と真価が問われたと思いました。私がコンサルタントとして、クライアント(会社経営者)たちの本質と真価を見出す機会となりました。

できる経営者は、逆境をチャンスとして捉えてビジネスに転換する人さえ現れました。

今の時代は、決して順境ではありません。どちらかと言えば逆境です。

人は逆境に苛まれると2つの選択肢しかありません。

1.何とかして、どうにかしてやり遂げる、目標を達成するために挑戦し、弛まぬ努力をする。

2.逆境という状況において挑戦をやめる。撤退する、逃げ出す。

1.を選ぼうが、2.を選ぼうが、どちらが正解なのかは最後までわかりません。
「人間万事塞翁が馬」ですからね。

私は最初から無かったことから、いや、ありましたが、中古品しか、もらったモノしかなかったところから手探りでやった経験が立派な「悪代官」を養成してくれたと思います。

正解はありません、試行錯誤して成功した方法こそが正解です!

こんな私に成長させてくれた母に心から感謝します。

母も必要と思うものには大金をつぎ込む女性でした。←まだ生きています( ´艸`)

当初は、私は母についてもう少し詳しく書くつもりでしたが、紙面の関係上できませんでしたことをお詫び申し上げます。

「この続きは、明日の心だ~!」
という懐かしすぎるフレーズで終わりたいと思います。

From 愛用者の佐々木専務 


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