仕事へのこだわり「意識的に行う」について
みなさんこんにちは、
今日のテーマは、仕事へのこだわり「意識的に行う」です。
前回のブログでは、相手と親しくなるための会話では、共感できるゾーン(部分)で、よく似ていて共感できる部分を、なるべく早い段階で見出して、共通の話題として頻繁に話していくことが大切です。と説明しました。
また、相手の回答に対して共感していない、できていないことに気づいていない人が多いことです。という点を指摘して、最も大切なことは、「共感ゾーンで(相手の発言や回答に対して共感しながら)リラックスして話す」ことなのです。
決して、自分が相手に対してさまざまなことについて説明することではなく、どちらかというと相手の話に傾聴することと共感することの方が重要なのです。という説明も加えました。
そして今日は、「意識的に行う」を学ぶために、【学習のプロセスについて】の説明をします。
すなわち、
いろいろな技術を習得するための4段階
1段階: 無意識でできない
2段階: 意識してできない
3段階: 意識してできる
4段階: 無意識でできる
についてです。
上記の「いろいろな技術を習得するための4段階」を見ていただきたいのですが、私たちは何かの技術をマスターするためには必ず、この4つの段階(ステップ)を踏む必要があることに注目してください。
以前のブログ「仕事へのこだわり『量からしか質は生まれない』について」で、何かの技術を習得するためには、1万時間が必要であることについて取り上げましたが、その折にいろいろな技術を習得するための4段階ついても簡単に触れました。
そこでは、自転車の乗り方を習得する時や自動車の運転を習得する時に、この4段階は必要なものです。ある程度の時間を使ってやり続けなければ習得できないです。と、時間の重要性について説明しました。
しかし、今回のブログでは、時間よりも「意識的に行う」ことに注目したいと思っています。ここで、いろいろな技術を習得するための4段階ついてもう一度詳しくみていきましょう。
ここでは、時間的なものよりも意識的なものに注目しています。
すなわち、1段階の「無意識では、習得できない」です。でも、2段階の「意識していても習得できない」と言っているのです。
では、どのようにすれば習得できるのかというと、「意識し続けながら行う」という段階が、2段階の次に存在するのです。
この「意識し続けながら行う」というものを簡潔な言葉で、「意識的に行う」もしくは、「意識して行う」という言葉で表現することにします。
「意識的に」もしくは、「意識して」という言葉で表現することは容易(たやす)いのですが、実際にはとても大変なことなのです。
自転車に乗れるまでの段階(プロセス)を思い出してください。
決して、生易しいものではありません。自転車から落ちたり、転倒して肘や膝に擦り傷や生傷を作っても、やはり自転車にはまだ乗れていないのです。
このような痛い経験をしながらでもあきらめずに続けていくと、ある時、突然に自転車に乗れるようになります。たぶんあなたもこのような経験を実際にしたことがあると思います。
自転車に乗るまでの段階(プロセス)は、ある意味で痛いし、恐怖の伴う挑戦や訓練であると捉えることかもしれません。でも、あなたはなぜ、どうして、そんなに痛いことまでをしてでも自転車に乗れるようになりたかったのでしょうか。
この「なぜ」、「どうして」という部分がとても大切であるということは、なんとなくはわかると思うのですが、どうですか?
「意識的に行う」ためには、この「なぜ」、「どうして」という部分が自分の中で明確になってなければなりません。言い方を変えるならば、理由が明確に自分の中で落とし込まれていなければなりません。このことこそが、「意識的に行う」ための原動力そのものなのです。
ある一定のレベルまで技術や仕事の質を引き上げるためには、「意識的に」もしくは、「意識して」取り組まなければなりません。
そうです、意識的に行うのです。そのためには、何のために自分はこの行為をしなければならないのか。継続的に続けなければならないのかを自分なりに落とし込んでおく、理解しておくことことが必要なのです。
なぜ私が、この内容について、ここまでくどい説明をし続けるのか?
と、あなたは感じているかもしれません。
このくどい、しつこい説明こそが、私が「意識的に」もしくは、「意識して」やっていることそのものなのです。
ここで、「くどい」、「しつこい」、「執拗に」、「あきらめが悪い」、「執着して」、「こだわりが強い」、「篤い」などの言葉こそが、「意識的に」と「意識して」の同意語だと私自身は理解しています。
これらの言葉の源泉は、「なぜ」やらなければならないのか、「何のために」やらなければならないのか、ということが自分なりにどれぐらい腑に落ちているかだと思います。
今後はこれらのことを「意識的に行う」または、「意識して行う」という言葉に集約していきたいと思います。
もうかれこれ25年ほど前になりますが、私がある能力開発研修を受講するために精神科の診断書が必要になり、精神科の病院に行って、専門の医師と面接する機会がありました。
医師は私に対して、さまざまなテストや質問をしてきました。私はそれらのテストや質問について、いつものように回答して面接が終わりました。そして、最後に医師は、このように私に告げました。
「あなたは精神的な面では全く異常はありません。ただ、とてもくどい性格です」と。
この医師の言葉がこそが、私が何事についても「意識的に行う」ことの証明になると思うのですが、あなたはどのように思われますか?
「この続きは、明日の心だ~!」
という懐かしすぎるフレーズで終わりたいと思います。
From 愛用者の佐々木専務
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